AX

2009-01

Latest Entries

奥多摩湖へドライブ!リルコミだあ

予報がぴったり当たってきょうは冷たい雨が一日中降り続けている小平です。
こんばんは。

先日、私もときどき記述する「奥多摩」まで車を走らせました。新青梅街道を
青梅・奥多摩方面を目指すと普通に走って小平からほぼ1時間30分ほどで
JR青梅線の終点「奥多摩駅」に着く。たぶん、高校生ごろに一度来たきりで
駅の姿形はすっかり忘れたが、着いてみると奥多摩にふさわしい丸太小屋
を思わせる建物だった。その日はまったく人気がなく、駅はがらんとして物音
もしなかったが、改札の右側に「お二階へどうぞ」の案内書きが見えたので
何気なく見ると、「蕎麦屋」の文字が見えた。駅だったら「立ち食いそば」だろ
うと言葉が出たが、木の階段をとんとん昇ると普通のお蕎麦やがあった。



「きのこそば」とか「山菜そば」なんかピッタリな雰囲気だなあと考えていたが、
結局「すんません、見学です」と片手をあげてUターン。蕎麦よりも停めた車の
駐車位置が心配になったのだった。それにしても駅前にはみやげ物店もなく、
想像したよりも殺風景でバスの車庫だけが目立っていた。「ここは奥多摩湖
などへ行く中継場所なんだわ」と妻。だったら、奥多摩湖(村山貯水池)へ行
ってみようとハンドルを切った。この「青梅街道」は青梅市街を過ぎると極端に
家々が少なくなり道も細くなって、そのうえどんどん登っていた。途中の沢井
駅入り口のところに有名な清酒メーカー「澤ノ井」本社があった。



東京都を代表する日本酒「澤ノ井」の純米吟醸は私も大好きだ。二年ほど寝
かした純米酒もなかなかに美味しい。純白の社屋の正面に立って、「へー、
こんなとこにあったのか」と、意外だったので声が出ちゃった。沢井の澤ノ井
だったのだ。さて、奥多摩湖であった。道は奥多摩駅を過ぎても尚も登って、
トンネルもたくさんくぐってアイスバーンもあったりして、「もう、疲れたにゃあ」
と言うころにようやく奥多摩湖があった。厳冬期の寒々とした青い湖面が広々
と横たわっていた。ここにも人はいなかった。駐車した車はあっても人の姿が
見えない。「たぶん、釣りに行ってるのかも」と想像した。



奥多摩湖は「たくさんの村を飲み込んだ」ダム湖で、東京都の水源という役目
を果たしているのだそうだ。しかしながら、奥多摩連邦の山々の頂上近くに
まで登ってきたら水面があった。満々と貯えられた水量は計り知れない迫力
があった。途中、遙か下を流れる針のように細い川を見て寒くなったけど、
あの川を塞き止めて出来たダム湖だった。こんな途方もない土木工事が日本
に無数に存在しているのだ。いったいどれほどのお金が費やされたのかと
考えると、またもや寒気が襲ってきた。遠くに工事の船がゆっくり動いていた。











赤猫「ピット」のはなしだよ!リルコミだあ

きょうも小平はおだやかな冬の晴れでしたが午後雲が出て予報では夜に雨。
こんばんは。



今年のお正月に撮った猫。名前は「ピット」ですぐ目の前のお宅で飼っている
が、このときは我が家の庭でひなたぼっこを決めていた。私よりも先に妻が
見つけたので平和で寝ていられたが、逆だと私が追いかけてとことん遊ぶので
こんなにのんびりは出来なかっただろう。我が家の庭は住みよいのかこの他に
黒白猫もやって来てごろごろ寝ていることがある。黒白はたまに私が天敵だと
いうことを忘れて、「ニャ~オ」などと鳴いて足下に体をすりすりさせて悦に入る
こともあるふとどきな猫だ。やがて私が「ギャ~オ」などとからかい始めると、
ビクッと体を硬直させて目を光らせる。ようやく敵だと気づいたのだ。すかさず
両手で体を捕まえて抱き上げ、尚も挑発を繰り返すと猛烈に暴れて泣いて
逃げようとするのだった。お遊びはたいがいこれで終了となって黒白を解放
するが、ポイと放してやると不思議なことに目の前で悠々と毛繕いをするのだ。
「猫の勝手でしょ」と開き直っているとしか思えない態度である。

さて、赤虎模様の「ピット」である。実はこの撮影後に自動車にはねられて
わずか6才の短い「猫生」を終えた。飼い主は3人の男子を持つ母親でお嫁に
来たとき連れて来た「連れ猫」だと、ある日我が家の庭までピットを捜索に来た
とき語ってくれた。つまり、大切な猫で、「猫かわいがり」されたというわけだ。
しかし、今年の11日から行方不明となって数日戻らないと、我が家の玄関にも
「尋ね猫チラシ」を持った若夫婦がそろってやって来たのだそうだ。しかし、その
あとになって、線路を越えたところにある病院に勤める人から電話がかかり、
「チラシの写真によく似た猫は病院の前で自動車にはねられて死にましたよ」と
知らせてくれて、「保健所に来てもらって片付けました」と教えてくれたとか。
確かにはねられて死んだ猫がピットなのか私には詳細は分からないが、飼い主
は病院の人々と片付け状況などを聞いてピットだと確信したそうだ。



哀れかな猫は西武多摩湖線の線路を越えて出かけているうちに事故に遭った。
これは「ピット」の貴重な遺影となった。軽い気持ちで撮影したのに「母親」に
見せるとポロポロと涙が止まらなかった。まあ、こういうこともあるもんだね。
そこで「ピットはブラピのことですか?」と聞くと、「ええ、そうなの・・・」だってサ。











お洒落タウン「南大沢アウトレットパーク」へ行く!リルコミだあ

ちらほらと早咲きの梅が咲くのが見える小平地方ですが、きょうもおだやかな
冬晴れでした。こんばんは。

お蕎麦やで昼食をとったあと現場を大工さんに頼んで妻と八王子市南大沢の
「三井アウトレット」へ行くことにした。いつもは埼玉県入間市の三井アウトレット
へ行っているのに、「南大沢って楽しいらしいよ」という長女の一言で決まった。
小金井駅前の現場は大工仕事が終わらないと他の職人が入れないので、
きょう1日私がいても実は何もすることがないのだった。こういうときは遠慮なく
早上がりを楽しむことにしているのだ。といっても物好き心を抑えきれなかった
のだ。京王線南大沢駅は八王子市にあるけれど町田市に近い「ニュータウン」で、
早くから若者が集まっている町として知られていた。多摩川を越して聖蹟桜ヶ丘
駅を右手に見て進むと「野猿街道」にぶつかる。野猿街道を左折してそのまま
しばらく走って、途中で「多摩ニュータウン道路」に入ると南大沢にたどり着く。

もはやこの辺ではないかときょろきょろし始めるころ、道路脇の店舗がアメリカン
タイプにチェンジする。大きなアウトドア店も小平などでは見たこともない店構え。
真っ直ぐ正面にビル街が見えた。カーステから「キース・ウットリー」のカントリー
ナンバーが流れて、もはや気分は絶好調!南大沢駅はすべてがモダンな街の
中心にあった。三井アウトレットと「首都大学」に挟まれた形だったが、地中海
ムードを連想するカラフルな新しい建物だらけの中を電車が走っていた。
スーパーマーケットもカラフルでしかも落ち着いた色使いが決まっていて、何だか
別のものように思えた。三井アウトレットも街と同じカラーだった。入間と違うとこ
ろは外国の街のように人が少なかった。建物の形も四角形のような入間より
複雑に建てられていたが、店舗構成は似ているようだった。

しかし、ここも寒かった。強い横風が吹くと外を歩くのもつらかった。エドウインで
私のジーンズを買い、アシックスでは妻のスニーカーを買った。目的はこれで達成
したのであとはぶらりぶらりといつもの珍し物を探して見物大会。しかし、途中で
くたびれて「Tully's」コーヒーショップで一服。ここは喫煙者ルームがあって中を
覗くと若者でむんむん状態。もちろん、非喫煙者の私たちはクリーンな席へと座る。
となりにこれも若いカップルが子連れで座っていた。旦那はアメリカ人のようだ。
「ティシュー取ってきて!」「お砂糖がないわ!」「この椅子、固いわ」などと矢継ぎ
早に旦那に注文をする厚化粧の若いママ。「携帯してくるわ」というやママは外へ
出て行った。若い外人、私と目があって照れくさいのかパチッとウインクしてみせた。
やがてアメリカパパに携帯がかかり、パパは子どもを抱いて外へ出て行くのだった。
ただただ、日本人奥さんは「強えーなあ」と私はひたすら驚くだけだった。

三井アウトレット全体を見るのだったらまる1日くらいはかかるだろうと思うが、
私たちは3時間いただけで目一杯になって他のショップには寄らずに帰った。外へ
出て車から南大沢駅方向を見ると、やっぱり計算され尽くしたニュータウンの街が
映画のワンシーンのように夕日に染まっていた。我が家の長女は色々なショップを
たずねてこの街をもっと深く知っていて「楽しい」と言ったのだろうが、私と妻にとって
はアウトレットパークだけで十分だった。帰りの車中は「ヒルマン&ペダーソン」が
流れた。「こっちがずっといいわね!」と妻。分かってるわい!と無言の私。










狩猟本能がうらやましいゾ!リルコミだあ

連日のおだやかな冬晴れの小平からこんばんは。

新年になってから初めて大工さんと仕事をした。小金井駅北口前の
2F建てアパートの「室内リフォーム」にきょうから取りかかったが、
主役の大工さんが正月休みから戻らず延び延びになっていた現場である。
大工さんは今年で66才になるが丁寧で素晴らしい仕事ぶりは評判だが、
毎年お正月になると暮れの25日ころから明けて15日まで長休することも
仲間内では有名になっている。しかし、今年は岩手県の実家で用事が
出来たと言って東京に戻ったのは先週末だった。およそ1ヶ月の休暇である。
いつも現場に追われている我が身に照らすと、うらやましい限りである。
その大工さん、「山遊びはこたえられないよ」と趣味の鉄砲撃ちの話しを
してくれるのだった。よし、聞いてやろうじゃないか。

鉄砲をかつぎ狩猟犬「セッター」を連れてほぼ毎日、山深く獲物を求めて歩いた
そうだ。「あれだけたくさんいたウサギがいなかった」といって、もっぱら「山鳥」
や「キジ」を獲ったそうだ。川や池に鴨もいるけど、渡る鳥だから鴨は獲らない。
「え、どうして、美味しいのに」と私が言うと、「渡る鳥は、鳥インフレが恐い」
のだそうだ。そして「どこの山にも鹿が増えている」たぶん、天敵がいないせい
だろうが、「鹿は食べても安心だけど、撃っても重いので獲らない」と言った。
山の中を登ったり降りたりするには鹿は重すぎるらしい。「熊には出会わない」
かと私が聞くと、「いまは冬眠だよ、はっははは」冬眠してないときでも山の中
で出会うことはほとんどない。犬を連れてるし、熊よけ音を出しているから。
「獲った山鳥は食べたの?」と聞けば、「うん、供養だから食べることにしてる」

「山鳥がいちばん美味しい」何よりも地元の鳥だから病気の心配がないのが
うれしい。「山鳥鍋にして食べると最高だね」と言って目を細めた。冬山の
お弁当はおにぎりがベストらしい。可能な限り荷物を減らすことが山歩きのこつ
だからというと、山を思い出したのか目が光ってきた。「おれ、山梨で熊肉の
入ったほうとう鍋を食ったことがあったけど、最低にまずかった」ほうとうにも
熊肉の匂いが染みこんでて、臭くて食えなかった。さっきから黙り込んでいた
ペンキ屋の二代目が体験談を言った。「獣はみんな匂うよ」だから、料理次第
なんだよ。イノシシも増えているナ。こいつも獲れるけど、解剖が苦手だから
獲らないんだ。でも、何人かであいつらを追いかけるとおもしろいよ。

大工さんはどうやらお休みの間中、狩猟本能の向くまま「狩り」をしていたらしい。
釣りに行く人と同様に大工さんは狩りに行ってたのだ。私には真似ができない。
そういえば実家の親父も3日間ぐらい帰らないで大きなイワナを数十匹釣って
来たことがあった。野生本能をかきたてられる人はうらやましいな、やっぱり。














大相撲初場所は横綱朝青龍の完勝!リルコミだあ

このところよい天気が続く小平ですが朝晩は冷えて布団から出るのが
つらくなってしまいます。こんばんは。

今朝は横綱朝青龍の復活を決めた優勝の話題でテレビも新聞も一色だった。
14勝1敗という堂々たる勝利はいったい誰が予想したのか。しかも14連勝の
おまけまで付いての優勝だから、「引退」を声高に言っていた相撲解説者や
評論家、それに横綱審議委員会のメンバーたちはそれこそ頭を丸めて反省を
してもらいたいものだ。我が家では子どもたちは全員が朝青龍びいきで毎日、
スポーツニュースを見て朝青龍の勝ちに「よーしよし!」などと声をかけていた。
私はというと、「今場所はダメだろう」という大方の前評判に賛成している口で、
中日まで白星を重ねる朝青龍にも「優勝」はないと思っていた。ところが14連
勝まで来ると俄然、朝青龍を応援したくなった。きのうの千秋楽の結びの一番、
白鵬対朝青龍では完全に「全勝だ!」と朝青龍に声援をかけている自分がい
たが、しかし白鵬にあっさり負けた。今度は白鵬の際だつ強さだけが目立った。

すると私には「優勝決定戦」は白鵬が勝ちそうに見えた。お仕事が休みだった
長男とテレビの前で固唾を飲んで勝負を見ていると、今度はするすると朝青龍
の完勝だった。あっち、こっちとぶれた親を見て子どもは何と思ったか。すると、
総理大臣杯の授与によくぶれる麻生首相が登場してご挨拶。あの有名な小泉
元首相の「感動した」と言って喝采を浴びた場面よもう一度の態度が見え見え
だったが、賞状の文面、内閣総理大臣杯の「杯」を抜かして読み上げてしまった。
つまり、「内閣総理大臣・朝青龍・・・」とやったので、総理大臣が朝青龍か?と
聞こえてしまい、当の朝青龍も笑っていた。間違いは誰にもあることだけど、
あそこでミスるとは情けない。テレビを見ていてもちょっと白けてしまった。まあ、
ひょっとして柳の下にいたかも知れないどじょうは、あそこの場面ででするりと
逃げていったようだ。残念だね麻生首相。朝青龍にはおめでとう!













ご主人猫に出会った!リルコミだあ

家の近くにあってお花を買うときは便利な小平農協の角にある「蝋梅」が
黄色い花をつけて春を連想させています。こんばんは。

きょうは東村山の浄水場そばのお宅にクリーニングしにパートがお休み
な妻を伴って行った。もちろん、このお宅も小平市在住のおばあちゃんから、
「行ってみなさいよ」と繰り返し言われてようやく行くことにしたのだった。
なぜ腰が重かったのかというと、「脳梗塞気味でしょっちゅう倒れてる」と
話しを聞いていたので「もしも」ということを心配すると自然に足が遠のいた。
というわけで、ここもおばあちゃんの独り住まいだったが、もう一匹いた。
黒白の体のとても大きな猫が目をランランと光らせて玄関にデンと座っていた。
「ご主人猫だ!」と瞬間的に思って手を差しのべると、「フャーッ」声をだして
脱兎のごとく走って物陰に隠れた。私たちは嫌われたらしい。すると
おばあちゃん、ものも言わず隙間から猫の前足を持って抜き上げた。

「ノォー、ノォー、ノォー」、これ、猫の泣き声。断末魔のように野太いだみ声で
「ノォー」としか聞こえない鳴き声を立てると、今度はシャーっとオシッコを
漏らした。無言のおばあちゃんと黒白猫の格闘だった。さすがに猫は泣き
止んで足をぶらぶらさせてオシッコを切っている。「いいかげんにしなさい!」
猫を自分の顔まで持ち上げて睨み付けるとはじめて叱った。「あなたは2階に
行ってなさい」と言うや、哀れ猫は2階に幽閉されたのだった。10時のお茶の
とき、「薄型テレビを買って翌日、テレビにスイッチ入れようとしたら」画面に
猫の爪のあとが10本ビーッと上から下まで付いてたの、やられたと思ったわ。
すぐに電気屋さんに電話して状況を話したら、「プラズマテレビ」は表面が
ガラスだから大丈夫だって言われて。「ご主人様なの」とおばあちゃん。
2階でしきりに物音がしていた。こんな家もあるのだと不思議に思った。








クラレンス・ホワイトを突然聞いた!リルコミだあ

厳しい寒さが一息ついた小平ですがあいにくの雨がふっている午後3時です。
こんばんは。

仕事先のお客さんが先日亡くなり、きょうはこれからお通夜に出かけるため、
現場から早上がりしてブログを書いている。国分寺市でお百姓さんをしている
64才の跡取りがリンパガンで19日に亡くなった。いつだったか書いた1億円
以上ものお金をかけて数年前に木造住宅を造ったお客さんで、建ってから私は
毎年せっせとワックス塗りの仕事をいただいているうちに自然と親しくなった。
亡くなった跡取りはいかにもお百姓仕事のせいかがっしりとした体格で口数も
少なかったが、例えば作物のことになると俄然、雄弁に語り始めるのだった。
去年の夏ごろ、風邪をひいたらしいと咳をコンコンしているうちに顎の下がふく
らんで来た。触っても痛みがなかったが気持ち悪いので医者に行くと、「風邪
ではなくリンパガンだった」ことを告げられたという。風邪だと考えて放っていた
のが手遅れになったとこの家のおじいちゃんが淡々と語ってくれた。こうやって
みるとあらゆるガンが日本人の体に猛威をふるっている。

クラレンス・ホワイトが自動車事故で亡くなったのは73年の7月だと記憶して
いる。LAの売れっ子スタジオセッションマンから「ザ・バーズ」へ加入して、
ますますクラレンスの名前が世界中に轟き、ブルーグラスファンだった私も
ついにバーズのレコードを初めて買った。それからがめまぐるしかった。突然、
どうしたわけかクラレンスはバーズを退団するや、兄のローランド・ホワイトと
弟のエリック・ホワイトをウッドベースに、そしてアラン・マンデのバンジョーを
フィーチュアして「ホワイト・ブラザース」を結成。ヨーロッパにツアーに出たのだ
った。なぜ、こんな昔のことを書いているかって?それは簡単、こう毎日通夜だ
告別式だと続くと、ごく普通の日常は書けないのだ。お線香の匂いが記憶から
離れないのだ。というわけでクラレンス、「ホワイト・ブラザース」は亡くなった後、
「スウエーデン・ライブ」として日本盤が発売されているが、他にオランダの
アムステルダムでもライブをやって、その録音が残っていてそれを昨日の夜に
聞いてみた。両方とも73年の死ぬ年のヨーロッパツアーのライブである。

まず何といってもクラレンスのギターが素晴らしい。当たり前だと自分に言い聞
かせても尚もリズムギターとリードギターともに凄まじく素晴らしいプレイに驚い
てしまった。いまの世の中は緻密なプレイがブルーグラス界に溢れているが、
この時代のクラレンスのギターは緻密よりも豪快な男のプレイというものが聞き
手を圧倒しつつ桃源郷へと誘う。やはりこの男が歴史上最高のギタリストだった
と断定せざるを得ないと、きのうの夜中、私の62才の誕生日を飾ってくれた。
日本人でクラレンスを目の前で見た人物は巨匠小森谷信治と、若きバンジョー
マン、丸山亘の2人だけだと思う。インディアン・スプリングスのフェスで出番を
待ってバックステージに悠然と立ってギターのウオーミングアップをしている姿を
小森谷巨匠は接写している。白いジャンプスーツに身を包んだ栄光のクラレンス
・ホワイトはその1ヶ月後に亡くなったが、当時の録音を聞くと眠れないほど体が
熱くなって陶酔してしまうのだ。きょうは思い出を書きました。











故人中村裕昭のお通夜に行った!リルコミだあ

大寒入りして二日目もやっぱり凍える寒さの小平地方です。こんばんは。

きのうは友人の急死で池袋の祥雲寺までお通夜に行ってリルコミを休み
失礼しました。池袋祥雲寺は西口からまっすぐ立教大学方向に進み、
二叉交番のところを立教の方へ行かずまっすぐ進むと右側にあったが、
この辺は15才ころから大人になるまで私の地元だったので、実はよく
知っていた寺だった。因みに私は西池袋3丁目、大山空手道場と舞台
芸術学院といって俳優の養成所の並びに住んでいたので、池袋西口
から要町、千早町界わいはバイクの免許を取るまで遊び場だった。
28才のとき東京の母だった叔母が亡くなると、叔父とは合わなかった
ので池袋にはほとんど来ることがなくなっていたが、西口東武デパートの
前に立つと景色は様変わりしているがさすがに懐かしさで胸がふくらんだ。

「故中村裕昭」通夜は午後6時から始まり、読経をバックに焼香を済ませ、
お清めはお寺奥の立食テーブルでおよそ100人弱くらいか、ビールを飲み
お寿司をつまんで故人を偲んだ。先週、横浜「ビューティフル・ピープル」
リーダーのU佐美さんと電話で話したとき、「これまでは友だちの親を
送ったけど、この間は仲間が亡くなったよ」と言っていたが、その通りだった
なと思った。惜しくも59才の若さで亡くなった故人は楽器卸販売会社の
社長だった。ブルーグラス・ファンにはお馴染みの「コーリングス」の代理店
でもあった。その関係がふくらんで去年、「ヒルマン&ペダーソン」の来日
公演につながったが、我が家の妻は急死を知らせるファックスを読んだ途端、
「もう二度とあの素晴らしいデュエットは日本で見られないのね」と言った。

お茶の水や新宿渋谷など楽器店がひしめいて盛況を極めていたころに故人
は池袋に会社をかまえ独立。以来20年ほどで11人もの社員を有する会社
に成長しているのだと焼香前に仲間から聞いた。しかし、故人のもう一つの
顔はミュージシャンである。本人的には音楽が60%仕事40%だっただろう
と勝手に考えているが、私が初めて会った場所は新宿のウイッシュボンで、
故人は人気抜群だった「ジプシー・ブラッド」というカントリーロック・バンドの
リードボーカルだった。時代は70年代前半である。間もなく私が「ジューン
アップル」誌を出して広告をいただきに「ロッコーマン東京営業所」に行くと、
故人はもう一つの顔、ロッコーマンの営業マンとして私と出会った。そして
すぐに友だちになった。ジューンアップル誌はロッコーマンから多大な広告を
いただいたが、その多くは故人の力によるものが多かったと思っている。

やがてイシバシ楽器店に勤める北農さんを紹介されるとすぐに池辺楽器の
ダディ前田さんも紹介された。「バンドを作ったんだ」と言ったけど、なるほど
ウエストコースト・サウンドがすぐに出来そうなメンバーが集まって、水道橋
駅近くのクルーゾーでミーティングしてバンド名が「サムシング・ファイン」と
なった。有難いことに私をマネージャーにしてくれたのだった。中村裕昭が
リードボーカル&アコギ、北農がテナーボーカル&リードギター、ダディ前田
がバリトンボーカル&サイドギターが中心でスタート。このときから東京、横
浜エリアのライブハウスにサムシング・ファインによるウエスト・コースト・サウ
ンドの旋風が巻き起こった。78年ごろだったかと思うが、主なライブハウス
は渋谷の「アスペン・グロウ」だった。イーグルス、ニール・ヤング、ジャクソン
・ブラウンなどをレパートリーにしたサムシング・ファインは、いま考えるとウソ
のような人気ぶりだった。

思い出を書くときりがないのでこの辺でやめるが、故人が独立開業したころ
に私も急に忙しくなり、そのままつかず離れずという関係になって去年の
「ヒルマン&ペダーソン」の来日まで時間が経ち、久しぶりに会ったそのとき
に「病気をした」と本人から聞いた。しかし、このときの会話で知った病名が
○×ガンだったが、こんなに早く逝くとは考えもしなかった。まことに残念だ。











レモンスライス喝采ライブ!リルコミだあ

きのうまでとは打って変わって春が来たような暖かさの東京でした。
こんばんは。

週末の17日土曜日は大分の「レモンスライス」が銀座ロッキーに再登場しました。
ユウちゃんの美しいボーカルに上尾(アガリオ)さんのギターというシンプルさながら、
「今」を感じさせるバランスのいいブルーグラス・サウンドに酔いました。
ユウちゃんはウッドベースを弾きながら3ステージ分の27曲をカンニング・ペーパー
なしで見事に歌いきったのでした。しかも、それぞれに色合いをつけて歌う姿は
プロの歌手も顔負けになるような迫力でした。上尾さんもギターとハーモニーをつけて
獅子奮迅の奮闘ぶりが爽やかでした。止まらない汗をハンカチでぬぐってすぐにイン
トロに入る場面もギャグにしてしまうサービス精神が、たまらなくおかしかった。











日本のブルーグラス界にウッドベース&ギターという未踏の世界を切り開いてくれた
レモンスライス。格段に進化して満員のお客さんに大きく受けていました。
2ステージ目は「ゲストタイム」となって、東京の「タヒチ倶楽部」からおとめちゃん、
なっちゃん、早川流吉くん、手島宏夢くんが加わって「ザッツ・ブルーグラス・タイム」
をご披露してくれたのでした。女性3人のコーラスはしなやかで艶っぽく、なかなか
お目にかかれないステージングでした。バンジョーの流吉くんは長年つとめた
「大江戸多摩バンド」を先月離れたばかりだったが、ここでは柔らかいタッチの独特な
プレイがこのセットによく合って、実力をいかんなく発揮していました。フィドルの
宏夢くんは現役の大学生フィドラーながら切れ味鋭いプレイを見せて、間違いなく
将来は凄いミュージシャンになることだろう。

さてさて、友人で会社社長、ロック・ボーカリストだった「中村裕昭」さんが亡くなり
ました。会社は「トーラス・コーポレーション」でバンドは「サムシング・ファイン」だが、
ブルーグラスファンには去年、大好評だった「ヒルマン&ペダーソン」の来日を強力
サポートしてくれた人といえば「ハハン」と分かる人も多いかも知れません。
詳しい病状などは残念ながら分かりませんが、きょう19日に59才の短い命を
終えました。ニール・ヤングが大好きで、本人も「サザンマン」、「ハート・オブ・ゴー
ルド」を熱唱していました。オン・ザ・ボーダーの主人、北農さんはサムシング・
ファインを通して中村さんとは長年の友人ですが、同じメンバーだったダデイ前田
さんも逝っているのでこれから寂しくなるだろうな。

故 中村裕昭 儀 59才

去る1月19日逝去しました。

通夜 1月20日(火) 18時より

告別式 1月21日(水) 11時~12時まで

場所 祥雲寺

    171-0014
    東京都豊島区池袋3-1-6
    www.shounji.com/

喪主 中村照美(妻)













明日はレモンスライスのライブ!リルコミだあ

連日寒い日が続く小平ですが早咲きの梅はもう赤いつぼみが見えている
このごろです。こんばんは。

きょうの現場も地元、学園東町のワンルームアパートだった。大学生が結婚
するためにもっと広い部屋が必要になって出たと不動産屋が説明したが、
お互いに学生だよとも付け加えていた。いまどき珍しいといえばそうだけど、
出て行った空き部屋がものすごかった。どうやって生活したものかフローリング
はひび割れてところどころ穴があき板も変色していた。壁紙もぼろぼろに剥が
れて、明らかに引っ張って剥がしたような形跡もあった。トイレも便座はなくて
使ったトイレットペーパーが床に氾濫していて、もちろん便器は汚れきっていた。
「ちょっとこれ見て」と言った相棒のしかめっ面も一目で理解した。お風呂場も
シャワーをかぶったところだけは汚れがなく地肌のクリーム色が見えていたが、
残る大部分は薄茶色の汚れが覆っていて、「ウッ」と息がつまる匂いが充満
しているのだった。これはちょっと、大部分話しが違う。淡い「学生結婚」を
イメージして現場にきてみれば、惨憺たる有り様だった。

すぐに不動産屋に電話して状況を伝えると10分ほどで社長が登場。落ち着き
払って一見するや、いきなり「ウエッ」を連発、ハンカチで口をふさいで呆然と
立ちつくすのだった。こんな現場もたまには見ることがあるけど、学生がしでか
したことはなかった、「初めてだ」と社長に伝えてなぐさめた。やがて社長、少し
冷静さを取り戻して「す、すぐに見積もりできるか」と聞くので、「で、出来ます」
と私もどもった。「写真も添えてね」と社長、だんだん自分を取り戻してきたよう
だ。というわけで、きょうは見積もりを書いて1日が終わった。夕方近く不動産屋
まで見積書を届けると、「たぶん、こんな金額だろうと思った」と社長の返事。
「保証人の親の負担」にするので結果は2~3日待ってほしいという。汚れ仕事
なので少しふっかけさせてもらったから、見積もりが通るとかなり美味しい仕事
になる。こいつは春からウンコじゃなくて、運が向いてきたにゃ。

さて、明日は「レモンスライスのライブです。時間とお金に余裕のある方は全員
ロッキートップに集合してください。素敵なゲストも登場します。久しぶりの九州
ブルーグラスの神髄を聞かせてくれますよ。

開演:午後7時30分~

ロッキートップ 03-3571-1955

チャージ:¥2,000.

以上よろしくお願いします。









本日は残業のためリルコミはなし!リルコミだあ

きょうは時間がなくてリルコミを書けません。
残業で帰宅しましたが、またお客さんとの打合せが急に入り
これから出かけます。あまりこのようなスケジュールは組まないのだが、
上得意のお誘いでは断れなかったのでした。
というわけでアデオスなのじゃ!明日のこころなのじゃ!

我が家の給付金は貯蓄!リルコミだあ

連日のしびれる寒さの小平ですが日なたはポカポカと春のように暖かくて
気持ちがよかった。こんばんは。

派遣切りや社員の減俸など暗いニュースばかりが踊る新聞紙上ですが、
2兆円の定額給付金を盛り込んだ「08年の第2次補正予算案」が衆議院
を通過した。しかし、これがうれしいニュースかといえばそうでもない。
我が家には何円が来るのか興味もなく不明だったが、いよいよ通過となれば
やがて「数の原理」で自民党と公明党は衆議院では多数なので、この法案は
可決してやがて我が家にも相応額の給付金が届くに違いない。
そこできのうの夜は妻と初めて給付金の使い道を話してみたが、「サッカー
小僧の月謝の足し」とすぐに結論が出てしまった。「レストランでハンバーグを
食べたい」よという私の希望も何もない、妻の電光石火の判断だった。

ま、それはそれでしかたがないか、とオヤジはお利口さんに徹するのだ。
また、よく話していくと給付金が来るのは早くても5月ころになるらしい。
それだったら、月謝の払い込み月とはズレてるではないか。4月は払い済み
だし、残るは9月のみである。妻は9月に給付金を当て込んでいるのかと
考えると、「蓄えるだけじゃないか」と思った。景気刺激どころか我が家に
限っては貯蓄という死に金に近くなるから、商売(自営)をしている私としては
あんまりうれしくないよね。もっと早く、ドカンと目が覚めるような金額だったら
麻生さんを誉めてあげられたのに残念だ。午後TBSラジオの「ストリーム」では、
「この給付金は公明党の案」で自民党は丸呑みさせられたんだとゲストが
言っていた。そのゲストが「公明党はこの給付金の一部が支持母体の創価
学会への寄付になることを狙った」と話していた。なるほどと思った。

きょうは集金のついでにジョイフルホンダでガソリンと灯油を買いに行った。
ガソリンは1リットル94円、灯油は18リットル990円と前回と変化なしの値段
だった。するとどうでしょう、スタンドはガラガラ状態。1秒も待たないで給油が
出来たのだ。要はジョイフルホンダまで行かなくてもいまでは近所でも94円は
常識なので、用もないのに行く必用がなくなったわけだ。灯油の方は反対に
超満員だった。寒波襲来のせいか入れに来た人はほとんどが複数の赤い缶を
持っていた。私も恥ずかしい3缶だった。並んで順番を待っていると、一人の
おじさんが6缶もの20リッター缶を持って来ていた。「きっと誰かに頼まれた」
ので6缶になったという妻だったが、私は「仕入れ」てもおかしくないよと言った。
3缶が6缶を見ていろいろ笑うのは目糞鼻糞のたぐいだと気づき話しをやめた。
ただ、家の中に灯油を蓄えていたら火事が恐くて眠れなくならないかと思った。



10日土曜日は斉藤徹氏主催の新年会だった!リルコミだあ

とても寒い朝を迎えた小平でしたが、雲一つない快晴が気持ちよかった。
それでも結局一日中寒かった。本格的に冷たい毎日がやって来そうです。
こんばんは。

きょうの現場は学園東町の学生アパートだった。1ルームのロフト付きで、
冬のいまはこのロフトがお日様に照らされてポカポカで暖かいのでさぞや
居心地がいいだろうなと思いながら仕事をした。しかし、不動産屋がいう
には「人気がない」ので家賃もかなり下げているそうだ。そういえば全部で
12室あるこのアパートもよく見ると5室も空いていた。空室になっている
郵便受けにはテープを貼って、チラシなどの投函を防いでいるのですぐに
分かる。「新築マンション&アパート」が建ちすぎて供給過多なところに
去年秋頃からの不況が響き、親元から通学する学生が増えているんだと
不動産屋主人がお手上げの格好で言った。大不景気が社会の有り様を
変え始めている。それにしても冷たい1日だった。

先週10日の土曜日は評論家、斉藤徹氏が主催する新年会がJR中央線
小金井駅近くであった。小金井市は仕事でも年中来ている近所だから、
銀座など遠方に比べると精神的には非常に楽だった。午前中だけ仕事
をして妻と共に参加。午後1時すぎに着くとテーブル席は満席状態。およ
よと後方に席を見つけて座ると、真正面の紳士が私を見て何やら笑顔。
「ジンさん、ぼくが分かりますか?」という。「え?、・・・?」迂闊にも忘れて
しまっている。参ったな、と観念していると、「ほら、東海楽器でお世話に
なったF島ですよ。須貝さんの下でちょろちょろしてた・・・」おお!そうだ!
言われるとF島だ。あの太めの青年がいまはすっかりスリムになっていた。
F島の両隣には浜松在住のかつての青年がにやにやして座っていた。
そうか、ここは静岡連合の席だったのねとたちまち了解。



それにしても奇遇だった。かつてジューンアップル誌は浜松で印刷をして
いた。ナニユエかというと、デザイナーの須貝重太さんが東海楽器の仕事
をするようになって浜松に住んだことが原因だった。そのため当時は、
新幹線で入稿や校正に通ったことを思い出した。豪勢でいまでは考えられ
ないが、校正などで私が行ったときは浜松名物の天ぷらやに必ず寄った。
名物とは私たちだけが付けたもので、それは沸騰している油に五本の指を
ザブンと浸けてネタを揚げるもので、最初は驚いて言葉が出なかった。頭に
いなせな鉢巻きを巻いたオヤジさんは表情ひとつ変えず次々に揚げるのだ
った。その天ぷらやさんに行けるだけで浜松行きは楽しくて意味があった。
「カントリー・ガゼット」も浜松でやったね、と私がいうと、かつての浜松青年
たちは大きくうなずくのだった。



新年会はまったく予想もしない再会をもたらしてくれながら進んで、やがて
ジャムタイムとなって行った。斉藤氏が発行するブルーグラス・ペーパー
「ハイ・ロンサム」は今年で20周年だそうだ。新しいブルーグラスCDをほと
んど知らない私には強力な情報源になっている。益々元気に30周年を
目指してがんばっていただきたい。順番が来たので私も歌ったが山のよう
に反省した歌だった。まあ、来年はリベンジしよう!


















きょうの小平は雪まじりの雨!リルコミだあ

強い寒波に覆われて小平は早朝から雪まじりの氷雨が一日中降った。
明日も雨なのか知りたいところだったが、とりあえずパソコンの前にいる。
こんばんは。

先日も似たような現象だったが、きょうも外気より水道の水の方が暖かかった。
常に現場では水道が頼りで仕事をしているが、冷たいはずの水道水がほんのり
と温かいのは意外でとても有難い。先日、沖縄で漂流して立ち泳ぎしながら
救助を待った漁師さんも、「外気は17度だけど、海水の中は23度だった」と
言うのを聞いて、その現象が水道水の温かさに似ていたので「なるほど」と
うなずいたのだった。それでも外が雪となるとアパートの部屋の中も強烈に寒い。
めったに言葉を話さないクロス屋さんも「冷たいなあ」と言って糊缶を持つのを
見て、「昼食後まで雨雪だったら、早上がりしましょうか」というと、黙って見つめ
返してきた。言ってしまうと、やたらに私はお昼が待ち遠しくなって普段はほとんど
見たこともない腕時計を何度も見ては時間を確かめていた。どっちにしても職人は
雨と妙齢な女には弱い。しかも雪がまじっているとなると、やる気が弱くなるのも
しかたがない。やがてTBSラジオは毒蝮三太夫の明るい笑いを伝えていたが、
雨雪は尚も強くなったように降っていた。

若いころの私は、スキーやスケートなど遊びに行ったときは「ビュービュー」と音を
立てるような吹雪きでもない限り、ゲレンデやリンクで遊び狂っていた。
暗くなりかかってから旅館に戻ると、ストーブのまわりで雪と氷を払っている私を
見たおばちゃんが、「大丈夫かい?」と聞いたこともあった。寒さで口ががくがく体
がぶるぶる震えて言葉を返せないでいる私を見た旅館のおじちゃんが側に来て、
「頭がおかしくなったんじゃないのか」と母かあが心配してたんだよと言った。
どうも旅館の人たちが吹雪の中を1日中帰って来ない私を心配していたらしい。
まあ、誰でも若いころは寒さなんて吹っ飛ばして無茶をやったんだろうけど、
いまとなってはとんでもない。降ってる雪を見ただけで尻込みをしている始末だ。
というわけで、昼食にチャーハンを食べて、明日の快晴を願って現場を早上がり
したのだった。







新年のご挨拶回り!リルコミだあ

本格的に寒くなってきた小平からこんばんは。

きょうは新年の挨拶回りとなった。6日には不動産屋さんにご挨拶に行ったが、
8日のきょうはいよいよ建築業者へのご挨拶だった。といっても相手はそんなに
多いわけではないので午前中だけで終わったが、手みやげは1ヶ500円もする
菓子を持参した。何でも鎌倉の和菓子店が新小平駅そばに開店して連日、お客
さんで賑わっていると妻が言って、小さいあんころ餅が詰まった箱を買ってきた
のだった。「こんないいものをあげたって、何も変わらないよ」という私をかわして
妻が「たまにはいいのよ」と差し出すのだった。しかし、手みやげを受け取った
社長などはともかくも、骨休み中の職人たちは「正月からゴロゴロしているだけ
なのに母ちゃんに嫌がられてヨー」、早く仕事したかったといつものぼやきを言う
が、今年は大不景気になりそうだからと話しをすると誰もが「分かってる」と応え、
「がんばんめえ」といって身を引き締めていた。私は「たかがアメリカでバブルが
はじけただけ」なのに、騒ぎすぎだ、仕事が少なければ我慢すればいいと励まし
てみたがみんな無言だった。というわけで、これから夜の新年会があって出かけ
てきます。さて、アデオス、アミーゴ&セニョリータ!

イスラエルへのイメージが変わった!リルコミだあ

朝から冷えてこのお正月いちばんの寒い1日となった小平からこんばんは。

イスラエルが地上戦でパレスチナ自治区ガザへの攻撃(戦争)を続けている
が、今日の夕刊を見ると国連の難民救済事業機関が運営する「学校」を攻撃、
48人が死亡したとあった。死亡者のほとんどは学校に避難していたガザ市
民だという。この戦争の始まりは、「ハマスが先にロケット攻撃をした」だから
仕返しに空爆をやったとイスラエル。本当だろうか!パレスチナ自治区ガザを
占領したいがためのイスラエル側の口実に聞こえてならない。もちろん、イスラ
エルの後ろには米国のブッシュ政権が控えている。あらゆるこれまでの「戦争」
によって「繁栄」を味わい尽くす米国の代表が、現代ではブッシュ政権だ。
この不況時にも負けてはいない。「ハマスが悪い」と明瞭なブッシュの言葉が
記者会見で聞こえた。とにかく、このパレスチナ問題で際だつのは常に過激な
攻撃を繰り返すイスラエルには同じ地球上の人間として腹が立つ。たとえ後ろ
に世界一の戦争王米国がついているとしても、このイスラエル国民は戦争が
大好きなようだ。いったいパレスティナ自治区にはどんな宝物が埋まっていると
いうのだ。「ユダヤ」という民族を知ったのはたぶん、高校の世界史だったと思う。
そこでは第二次世界大戦でヒットラーによって虐殺されたかわいそうな流浪の
民族というイメージを持っていたが、ここに来てその考えは誤っていたと考えざ
るを得ないと思った。しかし、ブッシュ政権が臆面もなくイスラエルを擁護するとは
何なんだろうか。宗教上の深いところで繋がっているのかも知れない。

きょうは糖尿病の検診日だった。前日受付で「明日は飲まず食わずよ」と看護婦
に言われたまま午前8時45分に行くと、駐車場に黒いスズキアルトに乗った若い
カップルがイチャイチャしていた。隣に駐車したからアルトの室内は丸見えだった。
チューチューともみもみを繰り返して隣の私の存在などは眼中にない様子。その
まま病院の受付を済ませてソファに座っていると、カップルは肩を組んで病院に
入ってきたのだった。「私しー、頭が血管切れるみたいに痛くなるの」と受付に言
うと、受付の女子が「紹介状はお持ちですか」と聞いた。「はははは。ないよ!」
と男の子の顔をのぞくと二人そろって大声で笑うのだった。「それでは、ここに記入
してください」と受付嬢。私や他の患者さんの座るソファからは受付がよく見えた。
5~6人が9時の診察開始を待っていた。「保険証って何?」という女の子の声が
したので雑誌から目をあげると、婦長さんと見える帽子に黒い線が二本ついた40
才代の人が相対しているのが見えた。「ここは脳外科といって大きな声を出したら
困る人がいるので、これからは大声を出さないように」と女の子にいうと、「あちし、
保険証って知らないけど・・・」といっていた。頭が痛くて我慢が限界だから脳外科
に来た、○×くん(カップルの男の子)が頭が痛いときは脳外科だって、午前5時
から駐車場にいたよ、ここは病人だったら誰でも治療してくれるんでしょ、あはは。
やがて「ササキジンさん!」と呼ばれて診察室に入ると、あらまあ、女医さんだった。
採血など一通りの診察が終わって待合室に戻ると、たぶん二十歳前後のカップル
は備え付けの血圧計で遊んでいた。こういう小学生のような若者を初めて見た。















新年明けましておめでとう!リルコミだあ

2009年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

きのうはリルコミを書けず失礼いたしました。去年の暮れに新年の5日
から再開をすると約束して年末~新年となったが、実は5日は我が家で
友人たちと新年会のようなものをやることになっていて、私の脳みそは
新年会に占領されてそのことをすっかり忘れていたのでした。では、
いつ思い出したのかというと、二日酔いで頭ががんがんして喉が異常に
渇いて目を覚ました夜中の3時に、冷蔵庫の前でコップ一杯の麦茶を
飲み干してから、「リルコミは5日始まり」だったと、「ドキッ」と我に返って
ブルッと寒さに震えたのだった。まあ、とんだ失態でしたがお正月に免じ
て許していただきたい。

きのうは上の子ども2人が仕事始めで出社。サッカー小僧もアルバイトで
小平駅前の西友に出社だった。日頃、「早く独立しろ!」とハッパかけて
いたのに、子ども全員が仕事しに行ったことが妙に感傷的というか、
子どもに「大人を感じて」しまった。やがてすべて独立して我が家を離れ
ると、妻と二人だけになるんだというイメージが目の前に浮かび上がった。
やがて夢弦堂の主人ニシガイさんがトップで登場した。何やら小道具を
使ってマイ・ギター(夢弦堂009)の調整を始めると、「わあ、98年だ」と
驚いた。懐かしい恋人に再会でもしたように見えたが、新しいダダリオ弦
を張り直すと音が見違えるように変わって、バッチリ!リフレッシュした。

シャンペンで乾杯後、ビール、焼酎、吟醸酒などいつもの意識不明コース
となった。新年の挨拶回りで遅れた横浜のトラベル会社社長イイダコさん
が登場した午後5時すぎにはすっかり出来上がって、私「矢でも鉄砲でも
持ってこい」の勢いで社長持参の「濁り酒」をあおると、いきなりパタンと
寝てしまったらしい。つまり、酔いつぶれたのだ。「あるじ」のていたらくに
慣れているゲストは妻と盛り上がっていたが、長女が帰宅して玄関のピン
ポンを何回押しても気が付かなかったらしいから、こちらもかなりのメートル
状態だったのだろう。何でも、誰かがいるはずの我が家なのにと不思議に
思った長女は庭へ周り、明かりが見える窓ガラスを叩くと、ようやく妻が
長女を発見したらしい。

というわけで、新年はまだ現場は動いていません。本格的に現場が始ま
るのは8日以降になるが、さて今年は大不景気との予想である。派遣切り
という言葉が普通に聞こえるほど製造方面の会社は騒々しいが、日比谷
公園の「年越し派遣村」を組織したのは「小平市出身」だという。偉いぞ!
小平市民の誇りだ!とテレビを見ながら応援するのだった。それでは今年
もブルーグラスファンに幸福がやって来るようにと願いましょう!










«  | HOME |  »

APPENDIX

jin3

jin3

ササキジンの
Little Community
Talkingへ
ようこそ

--------------------
ご意見やご感想などは
こちらへ
--------------------
NEW !
170101kameno.jpg
Rocking' Chair
/Tatsuo Kameno

お買い求めは
●亀野達夫へ
(¥2500国内は送料無料)
メール

または
BOMサービス


MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

DVDの案内

CDの案内

    170101kameno.jpg

    Rocking' Chair
    収録曲
    1.Country blues
    2.Wall ofTime
    3.Banks of The Ohio
    4. Any Old Time
    5. Crazy
    6. I’m Coming Back But I Don’tKnow When
    7. I’ll See You in My Dreams
    8. Put Me On The Trail to Carolina
    9. No9 Train
    10. Warp your Troubles In Dreams
    11. Lullaby In Ragtime
    12. Rockin’ Chair
    12. When I’m Gone

    お買い求めは
    ●亀野達夫へ(¥2500国内は送料無料)メールで

    または
    BOMサービス
    ----------


    141015_0001.jpg

    Take Me In Your Lifeboat
    /The Blueside of Lonesome


    1.How Mountain Girls Can Love
    2.Blue Ridge Cabin Home
    3.Kentucky Waltz
    4.Let Him Go On Mama
    5.It's Mighty Dark To Travel
    6.Take Me In Your Lifeboat
    7.My Oklahoma
    メンバー:
    Yoshie Sakamoto / Vocal
    Masuo Sasabe / Guitar, Vocal
    Yasuhisa Kato / Mandolin, Vocal
    Ryukichi Hayakawa / Banjo, Vocal
    Hiromu Teshima / Fiddle, Vocal
    Akihide Teshima / Bass

    制作:The Blueside ob Lonesome
    技術:Ryukichi Hayakawa, Hiromu Teshima
    デザイン&絵:Ashura Benimaru Itoh

    リルコミの紹介
    ----------
    130320IMG.jpg
    SOMEDAY/Yoshie Sakamoto
    1. My Shoes Keep Walking Back To You
    2. Someday
    3. Till A Tear Becomes A Rose
    4. Here Comes My Baby Back Again
    5. If My Heart Had Windows
    6. Blue Kentucky Girl
    7. I'll Take Care Of You
    8. You Take Me For Granted
    9. Under Your Spell Again
    10. In The Garden
    11. You Ain't Woman Enough
    12. We Must Have Been Out Of Our Mind(Duet with Takaaki Sakamoto)
    13. We'll Meet Again

    CDの購入はメールでこちらへMAIL
    1枚2,500円+送料

    坂本愛江の HP


    ----------
    IT'S A CRYING TIME


    Banjo-Eiichi Shimizu
    Guitar-SatoshiYamaguchi
    Mandolin-Kazuyoshi Ohnishi
    Bass-Akira Katsumi
    Fiddle-Morishige & Takada
    売価 ¥1980
    お問い合せ
    ビーオーエムサービス
    ●解説のリルコミ
    「IT'S A CRYING TIME」CDで復活!リルコミだあ

    ----------
    A New Peace Within / LEONA 111022.jpg

    1. A New Peace Within
    2. International Date Line
    3. Little Cabin Home on the Hill
    4. Endless Summer
    5. Close By
    6. Roly Poly
    7. Cherokee Shuffle
    8. Life's Inspiration
    9. Gypsy Spin
    10. Shade's of Blue
    11. Nobody's Love is Like Mine
    12. Soldier's Joy
    ●解説のリルコミ
    本日は臨時号です!リルコミだあ
    オフィシャルHP
    ----------
    「Hello, Old Friend」 cd_tq1.gif

    Tequila Circuit/Hello, Old Friend
    定価¥2,500
    ●CDのHP
    ●解説のリルコミ
    /テキーラ・サーキットのnew CDだよのリルコミで~す

書籍の案内

お知らせ

    当ブログはOperaではレイアウトが崩れることがあります。 Opera以外のブラウザでご覧下さい。
    メールアドレスは不定期に替えています。 メールでのお便り、ご意見、ご要望、などの際はメルアドの確認をお願いします。

    ササキジンへのご意見ご要望はこちらへ
    ブログのテクニカルな質問などはオーミへどうぞ